残してゆくもの

456jの玄関

死んだ男の残したものは
一人の妻と一人の子供
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花と一人の子供
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

谷川俊太郎作詞、武満徹作曲で1965年につくられた、「死んだ男ののこしたものは」の一節だ。ベトナム戦争が終結するまでには至っていない時期。さまざまな歌手によって歌われたので、どんな歌声を思い浮かべるかは人さまざまだろう。(もっとも、全く知らない人も多い筈だが)

この歌を急に思い出したのは、今朝の新聞の記事による。
朝日新聞の”「マンハッタン計画」核のごみ なお災難”という見出し。
1940年代の初頭、原爆開発計画によって、ウランを精製した施設から出た放射性廃棄物は保管場所にドラム缶で野積みされた。その後、その場所が私企業に買い取られ「一般ごみ」として違法に埋められた。ようやく専用施設に移すことが決まったが、周辺地域では健康被害が相次いでいるという。
「前に住んでいた住民や、通りの向かいの家族もがんだ。放射能との関係は分からないが、この辺はがん患者だらけだ」と憤る住民。

学校
元気な子供たちの向かいの学校

マンハッタン計画で製造された原爆が広島、長崎に投下されたのは72年前。投下された側も投下した側でもまだまだ被害は現在形なのだ。

「核のごみ」は核を平和利用しようと、必ず排出されるものだということをしっかり肝に銘ずるべきだ。
経済効果と天秤にかけて論じられることが多いが、天秤に載せること自体が近視眼的な錯誤であることをまず指摘したい。