採点の不思議

何か

スポーツやら芸事やらで、採点で優劣が決められることがある。
採点のために細かく基準が決められているものでも、個人の判断が採点に反映される場合が多いように思う。審判や審査員とはそのために用意されているわけで、すべてが機械的に採点可能であれば、何もわざわざ後でもめる原因を作る必要もないだろう。しかし、ジャッジする人のコメントを聞いて、疑問符が点くことは結構あったように思う。
もともと、私自身がその判定をする能力がないからという諦めの気持ちが半分、あとの半分がやはり、不公平感のようなものだ。

昨日では2題。
落語の新人賞(入門から既に10数年中堅?対象)の審査。審査員のベテラン落語家の評言。
自らの芸風と馴染まないことを露骨に指摘して、得意気に採点していた。丸で、自らの芸が不当に評価されているといわんばかり。確かに狭い範囲のことで被害も小さいのかもしれないが、伸びようとする芽を無理やり歪ませるようで侘しいこと。

幾何学もう一つは、国民的な人気なので、素通りすべきかもしれないが。
フィギュア・スケートの採点。ジャンプで転倒した選手が多いなかで、堪えながら転倒を免れた羽生選手の優勝は納得できるところかもしれない。が、解説者の手放しの称賛や2位の選手との大きな採点差には首を傾げてしまう。熱狂的な観客に負けまいとするような解説者はファンでしかないのか。

最後に素朴な質問。
フィギュア・スケートの競技でなんで転倒が多いのでしょう。
氷の上という条件や、限界ぎりぎりの技に
挑戦しているという簡単な答え?
体操競技なども限界ギリギリの技と思うのだが、そんなに頻繁に転倒はしていないように思う。違う要因があるのでしょう。