分刻みの旅

ファイト

研修生の家族が来日する
慰労を掲げて、観光旅行のようだ。
携帯に送られたスケジュールは、まるで業者の旅程表だ。出力してもらったら、5日分でA4用紙3枚あった。鉄道での移動が分刻みであるのは勿論のこと、手段のない移動(歩きだと思われる)まで分刻みなのが圧巻だ。それをみながら、どう考えたらいいのか私は戸惑っている。
研修生のフィアンセが作成したらしいが、余程計画を立てることに長けているのか、日本にいる研修生の引率に信頼がないのか。一度、夕食を伴にする機会があるので、その折りにそのあたりは観察することにしようか。京都の寺院からUSJ、通天閣などのパック・ツアーが天候に恵まれたものになるようにと思っている。

涼しいから、時折寒さを感じる時候。ファイト君は昼寝するにしても座布団とかの上でするようになった。私の胡坐のなかで丸くなることも増えてきた。寒くなったから、と勝手に解釈しているのだが、炬燵が出てくるのも時間の問題だろう。

そういえば、初めて北海道に住み始めた1年目の暖房入れはもっと早かったと思う。かの地は炬燵より断然ストーブ。一般家庭では石炭でも、1部屋のアパート住まいは灯油になる。貧乏学生でも月に18ℓの灯油を4、5缶使ったように記憶している。

そのアパートの大家さんから聞いた豪の者の話。
自衛隊に入隊経験がある20代の専門学校生という女の子。1年でほぼ6ヶ月間暖房の要るかの地で、その期間18ℓの灯油2缶しか使わなかったという。普通の生活(?)では到底できない記録だ。
自衛隊で使用していた防寒仕様の靴下は2枚、そこに市販の少し大きめの靴下。ズボンはパッチ替わりにこれも自衛隊の防寒ズボンとジャージを2枚、上半身もそれに倣い、更に全体を覆うように厚めのコートを着用。それにマフラーと帽子は毛糸製を入れて2枚。
これを自衛隊製の手袋、市販の軍手と毛糸の手袋で締めを決める。
上の装備をフル・バージョンとして温度によって調整していたようだ。
ストーブはあるので、それも活用するのだが、それにも流儀があって、無論無駄使いなどしない。
ストーブを点ける、種火のような炎も4、5分すると安定し始め、それとともに部屋の上層に暖気が感じられるようになる。そこで消火。
あとは、しんしんと冷気が感じられてもストーブの出番はなし。
多少の誇張はあるのかもしれないが、かの地で2缶で凌ごうとしたら、肯ける話ではある。

ストーブで焼く餅を食べることはもうなくなってしまったと
安っぽい懐古に浸りながら、週末です。

 

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