群れと徒党と

ここに何を感じるのだろう。
今のこの国に通底している鈍感さや破廉恥。もっと理念や思想が語られるべきところで行われる暴力。権力にはあくまでも従順で、責任は他に転嫁できるような言行に終始。明治維新での藩閥政治のような異端排除が露骨に、公然と行われている。親方が5つの派閥のどれかに所属することを義務付ける、そのことでスポーツとしての相撲を放棄したということだろう。

貿易不均衡で持ち出したのが、自動車の輸入関税の引き上げと牛肉の輸出関税に引き下げ。きっと「不均衡の是正の方向で一致した」と言明して、唯々諾々として要求に応じるのだろう。
これまでの経緯が万能とは思わないが、ここにいたるまでの交渉経過への考慮が多少でもあったのか。米国の赤字はなにも他国のせいばかりではなかったはず。
そんなことは間違っても口にはだすまい。今回の初首脳会談後で泣きそうな顔でアベは「今度は私が北朝鮮と向き合わなければならない」。
トランプの前回までの甘言を引っ込めての態度に絶望した顔だ。

もう一つ。
今回の自民党の総裁選挙で、やっぱりと思ったことが一つ。それは小泉ジュニアの優柔ぶりだ。人気度と影響度を十分わかっていての処世術。結果が出てからの態度表明。結局は「冷や飯イヤ」の怖気者。残念でしたネ。

せめて、沖縄知事選はぎりぎりの民度を示してほしい。願っています。

行く度に、故郷は荒れてゆく。
コンビニや飲食店でのパート労働、中央からの誘致企業での非正規労働。大きい通りには廃屋が目立ち、スラムのように区画整理されていないところに小さな若い人たちの新居が。まるで、一つの自治体としての体をなしていないような気さへしてくる。出生率が落ちているとしてもここで生まれ、育つ次世代にこんな環境でいいのだろうか。
地域差というと格差のように聞こえるかもしれないが、自然が生活とともに大切にされてきた農主体の地域と、歩いている人まで明るく見えた商品と少しの喧騒に包まれた商地域があって、そこを行き来する中で将来図を描けてきたような気がする。ノスタルジーで済ませられない問題だ。
大阪から青森までの飛行機はかつてより増便されている。行先のかつてより大分増えている。空港の駐車場は大きく拡張されている。
器は作れるノウハウは持っているが、それを利用する人までは作れないということ。