枝葉は枯れても

旅

答弁する後ろで、黒子であるべき官僚が、大きな声で間違いを訂正する。
一度や二度のことではない。それこそ在庫一掃商品の成れの果てか。おぞましい限りだ。そして、その姿はテレビのワイドショーのニュースにはなっても責任問題には発展しないのが最近の特徴だ。それだけ同じような現象が多いということだろうが。任命したものは知らん顔でやり過ごしてしまう。
金の問題が浮上すると、「大臣自身が説明責任を十分果たしてほしい」。自身が丁寧な説明を慣用句のように使いながら、一向にその責を果たしていないから、いかにも説得力がない。

泡沫大臣が生み出される現状をみて、今の内閣の官邸重視の露骨さを見る。各行政機関は官邸のコントロールの下にあって、そのトップは飾り以下でも以上でもない。そこに決定権など元々持たせる気もないのだろう。大臣の資質などは考慮に外だ。
政治自体が寡占状態なのだ。そして、それがどんな結果を生み出すのか。アベノミックスは終着を迎えたのだろうか。その功罪は検証されたのだろうか。

雲そんな中で、北方領土の問題が持ち上がってきている。この国は独自に判断を貫けることができるのかは注目に値いするところだ。
辺野古問題と同じように、地位協定が絡んで、アメリカの意向に結局はねじ伏せられてしまうのか。
また、返還自体に重大な条件が付けられるのではないか。
20数回のプーチンとの会談でこの国が得たものとはなんだったのか。今更、昔の協定を持ち出して字句の解釈でもあるまいに。

寡占状態だから、何をやっても許されるというものでもない。


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