選択の幅

高所クレーン

こんな茶番があつたとは
民主主義とは、選択肢が沢山確保されていることが必要な条件だと思う。
大阪では、知事選も大阪市長選も同じ構図。争点が違って当たり前だと思うのだが、それも大同小異。
維新と自民という同じ図体に一見違う夜店のお面を付けただけの選択。
かつては自民、反自民といった括りだったのが、その自民の中での括りに国民の意向が圧縮されてしまって、かつての反自民の選択肢自体が消滅してしまった。

こんな状況を認識している人は多い筈。しかしそれを示威できる機会もほとんど失われているのが現実。
大阪の選挙は注目されながら、結局は維新の勢力動向の報道ではないか。
都構想のアドバルーンの裾野に変化があったのか。府知事とは都構想から外れた自治体の問題にはノータッチになるのか。
選挙で一票を投じる候補がいないのが、私のへそ曲がりのせいだとは思いたくない。

今日は、ブログがすっかり遅くなってしまった。
朝から電車旅。と言えば優雅だが、思わぬ遠さにすっかり疲れてしまった。
写真のような、桜に下で居眠りでもしたい気分である。
小さな薄赤い球形が見えると思うが、それがこの公園の奥ゆかしいところ。胸を張って推薦できないけど、こっそりでもいいから身にきてくださいと言っているような大きさのボンボリ。
大阪はそろそろ、”葉桜”になんなんとしている。
でも 「やたらとこの頃、桜が多くありませんか?」
とは、これもへそ曲りの一言。
どうぞ気にせずに観桜の宴を楽しんでください。