包帯なしで、少し寒い真夏日

病院で、あっさり右腕の包帯が外された。
何となく頼りないような、腕が不安を言っているような。こんな気持ちが以前にもあったようなと思っていたら。随分昔のことが蘇ってきた。小学の低学年のころ足にヒビが入って入院し、何日目かにギブスを取ってもらった時の足の不安の呟きに似ていた。同級生との相撲でヒビが入ったといったら、激しい取組みを想像されるかもしれない。さもありなん。
それには、昭和の時代背景があった。1964年の東京オリンピックの前に、白黒テレビが一般家庭に普及し始める。我が家でテレビを購入したのもそんな時期であった。高価なものだから、一日に見られる時間は限られていたが、相撲だけは時間枠いっぱいまで見ることができた。テレビの珍しさも手伝って、良ーく見たことは覚えているが、活躍していたのがどんな力士だったかはまるで記憶にない。
その放送中に時々、解説のため既に済んだ取組みをもう一度放送することがあった。きわどい一番などは、最新の技術・スローモーションでコマで分解して見せてくれる。(分解写真といった時期もあったような気がする)何故かその技術に魅せられたものである。

ここで、話が繋がってくる。怪我をした時、私は相撲でまず勝った。で、その後に負けた相手にその相撲のスローモーションをしようとお願いした(強制?)。お互いの意思やスローモーションの理解が一致していたのかは怪しいが、とにかく試みることになった。低学年が直前とはいえ組手を覚えてる訳もなく、普通に相撲を取って、そのゆっくり版になっただけだったような気がする。そのゆっくりが不自然な動きを生み、もつれた形で足に痛みが走り、立てなくなってしまう。あっけない顛末で骨折(実際にはヒビ)の事態となってしまったわけ。
前触れが長くなったが、そのときのギブスを外したときにみた、貧弱に細くなった片足が感じた外気の肌寒さだ。

駆け込みの仕事があって、腕には仕事でリハビリをしてもらうことになりそうだ。

障害者の雇用水増し。モラル崩壊を止める手立てはないものか。地滑り的なこの国の崩壊を感じる。進展さへ期待していない外遊で批判の的外しに終始する宰相。

動物園のクマやトラが音を上げると同じように、我が家のファイトは少しでも冷たい床に体を伸ばしている。砂漠を祖に持つだけに、水をガブガブ飲むことはしないが、夜入浴時は、ガラス戸越しに丸で入浴したげに控えている。