縄文の技、波立つ土肌

昼、上野に着いた。
広い上野公園だから、人出は目視ではわかりにくいが博物館の中は何重もの人が展示物に向き合っている。絵画展とまるっきり同じ展示手法なのがなんだか私にはすんなりと受け入れ難い。狭い室内で、照明を絞って、展示するものなのだろうか。

青森の三内丸山遺跡でみた土器は、今回の展示の比ではない。数にしても、質にしても。でも、感動の度合は全く違う。臨場感というのだろうか。土器には自然の風や空間が必要なのだと思う。また、そんな場で見たいと思う。

そして、縄文への思いはもう少しじっくり育ててゆきたい。

随分、昔の話だから今はどうなっているのかは知らない。
ボストン美術館にいった時のこと。人出が少なく、パラパラという感じ。展示物は一流の筈だし、日本では考えられないこと。展示に沿うように歩を進めると、絵画にカメラを向ける人が散見される。勿論、止める人はいないし、警備員自体どこにいるのか。熱心にスケッチをしている人まで。とても自然な動きで、いわゆるやり慣れている感がありあり。
日本のように高い金を出して海外から借りてきた絵画を展示するから、鑑賞より警備が優先されるのも無理はないかもしれないが、すべてのケースが同じ状況なのはどうなのだろう。