いつも突然なんだと!

桂歌丸が亡くなった。81歳。
落語は好きだが、歌丸の落語はまともに聞いたことがない。声質とスピード感が苦手で、最後まで話が聞ける気がしないので、最初から聞いていない。最近は圓朝にまで手を広げているとある放送で言っていたが、どんなアプローチなのだろう。そこは気になるところだ。

圓朝といえば、江戸時代の人。「真景累ヶ淵」の作者で、手元には圓生語りのCDがある。6枚か8枚組の長いストーリーで、入院中に病室のベットで聞いた。怖い話。圓朝自身の伝記も読んだことがあるが、細部については忘れてしまった。

ところで、歌丸だが、数年病気がちだったようだが、それをおして高座に上がっていたようだ。年齢を重ねた芸の積み重ねがあまり感じられず、残念なことだ。(個人的な感想です)
若い頃は、志ん生の落語の運びにはズレを感じたものだが、60歳に近づいたころから、しっくりするものを感じたのと対称的だ。
ほとんどCDで聞くことが多いので、表情や動作が見えないが一人の落語家でも、その日の調子というのか、日によっての出来のバラツキが随分あるものだと感じる。私たちが生きてる日常も他人から見たら随分バラツキがあるのだろうなと感じてしまう。

突然と感じるくらいにまとまった仕事が入ってそのスケジュール作りに少し追われた。このくらいは当たり前にさばく体制が必要なのだが、仕事が先か、体制が先か。サラリーマン時代と同じような問題の立て方をしているようでは、個人事業主としては失格なのだ。もっといろいろな試行錯誤が必要なのと、タイムリーな思考法を感得しなくてはならん。

今日はスイカが食いたい