帰省、今昔

りんご

函館本線の各駅停車、駅の待合時間が長い
最初の帰省の記憶だ。さらにその先には青函連絡船が控えていた。
私の初めての帰省です。

遠い国の客には笑われるけれど
押し合わなけりゃ街は 電車にも乗れない
まるで人のすべてが敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく

けれど年に2回 8月と1月
人ははにかんで道を譲る 故郷(ふるさと)からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる
                   「帰省」 中島 みゆき

そんな季節がまたやってきた。向かう側から、疾うの昔迎える側になっていた。
今、考えると向かう側の動機は単純だし、思いも直線的だったような気がする。
そろそろ、渋滞のニュースが流れ始めることだろう。

先日も少し触れた、クジラ問題IWCからの正式な脱退が決まったようだ。鯨漁が盛んな土地を地元とする議員が積極的に動いたとかいう話もある。
ところが、この経緯についても結論についても正確な公式会見はされていない。閣議決定されて、それが国の結論として罷り通ってしまう。それが、最近の流儀のようだ。
それを土台として御用学者や評論家が決めた側に立った説明をまるで、見てきたようにする。それで、決めた側の説明が事足りたようになってしまう。
 変じゃありませんか
誰が考えたっておかしい。
塀政治の前提である、言葉を使って説明する、伝えることさへできない。疎かにしている人達だけなのでしょうか。そのなかから、多少でも光明となる良識の声が上がることはないのでしょうか。
「クジラは日本の食文化」
そんな言葉がまだ、新聞にも躍っているのです。どうやって食べるのかさへ、思いつかない”食文化”のような気がするのですが。