石田ゆうすけの同名の本が話題になったことがある。
ここでそれを取り上げるつもりはない。
想像通り、洗面器にいれた昼食なり夕食を家族で食べるということ。今時、普通では考えられないことだ。また、この国では少なくても、全員分の食事を一つの器に作り、それだけを食べるという習慣はないと思う。しかし、南アジアなどの少なくないところでは、それを手で掬ってか掴んで食べる光景はメディアでも目にする。貧しさの象徴に見えるのは、私たちの固定観念の故なのだろう。コンビニで買ってきたものを家族が別々の時間に別々の場所で食べることと、どちらが貧しいのだろうと考えるのは自然なことだ。
洗面器を食卓と置き換えてみて、食卓を囲んで家族が一同に食事をするという時間は案外短い。晩婚や一生独身という人が増えたので、安易な一般化はできないが、物心ついてから家族の輪から晴れれてゆくまでは長く見積もっても30年くらいかもしれない。私の場合は高校卒業までなので18年。でも、その貴重な時間は割と簡単に扱われていることが多い。
抜けた部分は戻ってくることは滅多にないし。戻ってきたとして元の形にはなっていない。それが殊更感傷を誘うということではないが、どこかに”洗面器”で食べた記憶が残っている筈。色々、曖昧な記憶と混じりあって随分遠い時間の隔たりがあるように感じられるけど、折りにふれ潜在的に呼び覚まされている記憶だと思う。
タイからの研修生と会食した。しゃぶしゃぶや焼肉を食べながら、良く食べ良く喋る家族を見て、ふっと”洗面器”を思い起こした。その旺盛な食欲と、色が変わる程振りかけられた七味をみて、未来への希望に曇りを持たない人達のひた向きさを感じた。日本人ばかりでは感じられない”洗面器”味なのかもしれない。
土産に、大きな袋入りのチョコレートをもらった。
どれくらいで食べきれるか、密かに勘定している。
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