隠れた名産、その名は

アピオスという商品名で店頭には出ていた。
小さく、青森特産ホドイモ。

NetではホドイモApios fortunei )、またはホドは、
マメ科ホドイモ属の植物。中国大陸南部から日本列島全域にかけての一帯が原産地であり、日本では山野、特に日当たりのいい林の中に自生する。アピオスというアメリカ原産の同種の植物もあって、それも青森を中心にして最近栽培されているらしい。
この写真がアピオス。
水洗いして、電子レンジで1分半でOK。ぽくぽくして、味に大きな特徴がないので、少し塩でもふったら、つまみには最適、とにかく安い、スーパーでは子袋詰めで50円を切っていた。と、話題に出していたら、また店頭でみかけなくなった。

この言葉で連想してしまった今ではほとんど死語かもしれない”ホイド”。この言葉の分布が案外広範囲のようだ。
乞食、物乞いのことだ。子供の頃、と言っても学齢前後くらいのことだが、東北の北部は貧しかった。出稼ぎができる(恩恵的でさへあった)ようになるまでは、日々の食べ物さへ困窮することが珍しいことではなかった。今の都会のホームレスとは少し違って、住所や氏名さへわかっている人でも物乞いすることがあった。あげる方だってそんなに余裕のある訳ではないから、小さな茶碗にいれた米を無言で渡す。いつ立場が逆転するかもしれないと危ぶむように。
そんな光景を幼いながら、何度もみたように思う。「あいだきゃ、ホイドだね」(あの人は、物乞いだ)軽蔑の中に、とても暗く悲しい現実に叩かれた憐みがあった。

敗戦の悲惨は目にしていないので比較もできない。ただ、敗戦のような一時期だけに限定されない悲惨が東北には永く続いていたことを思わないではいられない。
そして、今、東北は、そんな過去に本当に決別できているのだろうか。