徒然草 第62段
和歌がお互いの通信の手段となったいた頃
作者 吉田兼好は僧侶の身ながら、和歌を使って他人のラブレターを代筆していたこともあったという。
そんな時代の頃、寺に属するフリーの坊主が、食事にこと欠く状態で同輩に送った和歌
夜も涼し 寝覚(めざめ)の刈穂(かりほ) 手枕も
真袖(まそで)も秋に へだてなき風
この解釈は?
五七五七七の各句の上の文字をつなげてみる
「よねたまへ → 米たまへ → 米おくれ」
下の文字を後ろからつなぐと
「ぜにもほし → 銭もほしい」
なんと、和歌を使った物乞いの意味
大きな広がりでみると、文化という遊びの一つ
決して、時代的に安定期ではなかったはずだが、こんなことが許されていたのだろう
現代と安易に比較はすまいと思って、ここで措く