いざ、タイムスリップ

スプーン

少し前に古本屋で見つけた古い雑誌を読んでいる。
それこそ”失われた20年”以前の雑誌だから、隔世の感がある筈だが、そうでもないのはどうしてなのだろうとは思う。
400ページで、小さな文字がぎっしり詰まった紙面はとても”重量感”がある。

寒風どの文章にもあーーーーーアッ”の嘆き節が少ないのは、世相にせいだろうか。
それより、文士の資質の故か。とすると、反省しきり。

先週末、特大の”あーーーーアッ”ニュースが目に入った。
”安倍首相、トランプ大統領をノーベル平和賞に推薦”
戯れにもほどがある。
それも”日本国民を代表して………”と嘯(うそぶ)いて。
アメリカ国内でも批判の多い人をどれほど諂(へつら)ったら気がすむのだろう。
世襲議員の特徴で、”力のあるところへの嗅覚”だけは人一倍なのだ。

去年、抜群に知名度が上がった”忖度”とは
将に、この人のための言葉だったのだとつくづく思う。
力のある人に忖度して、自らには忖度を強いる。
その狭量さのために、いかに国際的な信用度を下げてきたか。
おまけに、友好国だった韓国との間には一触即発の危機を招いてしまった。

それで、”悪夢”から脱したとは笑わせる。
保守と革新という言葉はもう死語だとしても、
保守を標榜する自民党がこれほど、保守から越脱してしまったこと位は真摯に反省し、出直しを図るべきだと思う。

今日も嘆き節になってしまった。反省して、出直しだよな。