再雇用は再効用か

身近にそんな年齢層が多いからだが、60歳からの身の振り方が何かと話題になることが多い。
今、目の前でパソコンに向かっているのは再雇用組の63歳(64歳かも)。60歳前と同じような仕事をして、同じような勤務態度。同じフロアに、まだ勤務時間前だが、10人程。再雇用が2人、外国人が5人。男性が5人で女性が5人。この会社でも10年前には考えられない構成だ。

先日、再雇用組(妻の弟)が来阪して食事を共にした。人生をパターン化して類別することは好まない。だが、再雇用に限定した話ではなく、中高年の思考・意識には傾向がみられるのも否定はできない。果物が圧搾されたようにリタイア感から、すっかり項垂れてしまうタイプ、反対につい数年前と同じ能力を誇示し、自らの経歴を錦の御旗のようにふりかざすタイプ。そして両者に共通するのは、評価の大切なポイント、給与の不当な低さ。
この給与の決め方には、日本の労働政策の根本的な後進性があるのだが、まっとうな議論になったのを聞いたことがない。今、このフロアにいる再雇用組の2人は、社内でも周知の残業万歳の人だ。再雇用になってもそのことは変わっていない。そこに、大きな問題が潜んでいるのだが、多少は意識しても、そこに踏み込むことはちょっとした職場のタブーかもしれない。

プールと椅子再雇用と話は少し違ってくるが、そもそも同じ職場に40年近くいることはほとんど信じられないくらいの人生の損失なのかもしれない。そこで、身につけたノウハウを後生大事にすることも。(あくまでも、私個人の意見なのですが)
再雇用じゃなくて、転職がもっと評価され、当たり前のことと考えられる社会であれば、60歳以降にどんな仕事をしようが、特段問題にされることはないはず。60歳過ぎて、たまたま以前の職場に転職することだってありえるのだから。

そんなことを考えながら、60歳か65歳かは問わず、この年齢になれば記憶力、集中力、処理能力は確実に落ちてきていて、それが往年時と同じレベルに戻ることはありえない。とすれば、同じ条件の転職レースに参加すれば、確実の若い層の後塵を拝することは明らか。その時、経験値などというあてにならない力などなんの役にもたたない。

悲しき現実。転職のためスキル・アップを。そして、僥倖を。