暮れてゆく

年の暮れには、落語では「芝浜」だ
知っている方もいると思うので、細かい筋立ては省くが、今では夫婦の愛情を描いた屈指の人情話と言われる。
魚屋の男が魚市場にもいかず、商売に熱が入らないところから始まる長い話だ。
スマホに私は二人の演者(立川談志、古今亭志ん朝)の「芝浜」を入れている。が、めったにイヤホンで聞くことはない。
何故?
かなり、恥ずかしいことだが、最後の”くだり”になると知らずに涙がとまらないから。
通りを歩いているときに、そんな有様ではさずがに困りものだ。
最初、これは演者が上手いからかと思って、二人目で試してみたが結果は同じ。それからは、外では聞かないことにしている。
唯、機会があれば高座では聞きたいものだとは思う。

池も端年の暮れには、歴史の長さを色々としても
様々な行事や習わしがあろう。
デパートに並ぶ”おせち”の売り場も最近ではもう風物詩かもしれない。
近くのデパートの本屋の前がその陳列・売り場で、いやでも目にしてしてしまう。
毎回、数人が陳列を見たり、申込みを記入したりしている。

こんな情景はどんなことを意味しているのだろうか。