「身の丈」発言から
英語の民間試験、国語や数学の民間の採点業務利用の是非の問題に広がっている
韓国や中国の過熱した受験競争が報道されるが、日本でも相変わらずの”試験信仰”だ
一斉に同じ問題で選別すること自体が前時代的だろう
これ自体が、地域格差や学校格差を認めた上で成り立ったシステムだ
一律に評価すべきこととは何だろう。たとえ、それがあったとしても、できれるだ最小のものにすべきで、詳細については、各大学などに委ねるのが、”学問のあり方”として当然ではないのか
国がすべきは、大学をはじめとして高校などでの日常の教育活動への支援であり、子どもたちが格差なく教育の機会を得られるような環境整備のはず
日本の国家予算に占める教育関係の予算はどんどん削られて、OECD加盟国の中では最低レベルだ
神戸の例を引くまでもなく
”教師のレベル・ダウン”が語られることが多いが、教師の人材が集まらないのは待遇の悪さが大きな要因だ
過重労働が言われながら、根本的な改革がなされないまま
受験制度を含めての改革が急がれる
識字率の高さを誇れた時代はすでに遠い過去のことになろうとしている