今、機会があって半世紀以上前の日記を読解している
ペン字なのだが、毛筆まがいにくずし字でかなりの難物だ
元の日記をコピーしたものに書き込みを入れたりして進めているが
コピーで判読が難しい時に、元に目を通すことが再々ある
コピーだから、同じものの筈だが、
それが不思議と見た時の印象が違うのが不思議だ
特にかすれ勝ちの文字などは、コピーとの違いが明白だ
戦争の時代
日記の文面からは時々、戦争のまつわる言葉が出てくるが
まもなく、大きな戦争の転機が訪れるだろう時期の緊迫感はうかがえない
地域的にも中心から離れていることもあるのだろう
ラジオからの戦果の情報が頼りのようだ
コロナで
日々流れてくる情報がどんどん矮小化しているようだ
4人以下の会食なら、go to OK と会見するのは誰の担当?
そんなことを大きな歳費を使って会議しないでほしい
ソロソロと”転機”が近づいているのだろう